2024/02/21 21:40
こんにちは!
ご来店ありがとうございます♪
今日は私『店主ゆき』という人間について、綴らせていただきます。
お店のコンセプトにも大きく繋がっていますので、読んでいただけるとまたお店が味わい深いものになるかと思います☺
私は、日本の普通の家庭にひとりっ子として生まれました。
さて物心がつくと、早速問題発生です。
何故なのでしょう。
私は、この町で自分だけが何か違う。
自分だけ変。
自分だけ変な奴だってみんなに見られている。
そんな超妄想のような悩みを真剣に持っていました。
たぶん4歳くらいから。
生きる前提が自分だけ変。何かが違う。普通じゃない。だったので、
自己肯定感がダダ下がっていきました。
何か自分はダメなやつだって気づいたら思っていました。
何か可哀そうな欠陥品。そんな目で周りから見られている気がしてしょうがなかったのです。
そして、この理由のない悲しみを理解している人はどこにもいませんでした。
だから、人に心も開けない、ガードが堅い、そんな人間でした。
そんな状態で生きていたら、20歳になっていました。
長い。
16年も自己否定を続けてきた私。孤独と戦ってきた私。
自己肯定何てできる余裕はどこにもありませんでした。
そんな中、
なんでそんな勇気が出たのか、アメリカへ留学。
そこから自己表現というものが少しできるようになり、少し扉が開き始めた感覚がありました。
それまで諦めてきた人生。
ただ、思い起こすと、今を耐えれば、未来に何かが見つかる。という不思議な感覚もずっと持ち合わせていたのです。
そんな中読んだ1冊の本。
その本は私が生まれた時から誰よりも広い無償の愛を送り続けてくれた最愛の祖父が、人生を掛けて日本で出版した本でした。
私の最愛の人は、私の人生を永遠に支えてくれるバイブルを用意してくれていたのです。
『あるヨギの自叙伝』
その本タイトルです。
この本が日本で出版されるまでにも、また祖父の人生の物語がありました。
祖父もまた、若い頃『生きる意味』について常に問うて、探求して生きた人でした。
人は何の為に生きるのか?
壮大な疑問を問い続け、あらゆる書物を読み探求をしていたのです。
当時サラリーマンで、私の母を含む大家族の大黒柱として企業に勤めながら、人生の目的を探し求めた結果、出会った本がありました。
『ヨガ行者の一生』
それは『あるヨギの自叙伝』ができる前に一度訳された本でした。
この本を読んで人生の目的を見つけた祖父は思います。
素晴らしい本なのに、訳が真理を示せていない。
折角日本でこの本を手に取った人がいたとしてもどれだけの人が本の真意を理解できるのだろう?
恐らくただ英語から日本語に直訳された本だったのでしょう。
その内容はとても理解が難しいものだったと言います。
そこでサラリーマンおじいちゃんは、アメリカにある本部へ訪ねます。
そして英語の全くできないおじいちゃんは言いました。
『私にもう一度、日本語訳をやり直させてください。』
超人です。
私には考えられません。
どうやって英語ができないのに深い心理を翻訳するのでしょう。
しかもサラリーマンです。毎日会社があります。
こうして書いているだけでも、尊敬という言葉では足りない熱い思いが込み上げます。
そうして
数年間、平日の夜と土日を使って、1冊の本ができたのです。
『何で英語できないのに訳せたの?』
と私が聞いても、返ってくる答えはいつも同じ。
『会社の隣の席の人がちょっと英語できたから分からないときは聞いたんだよ。』
いや!!そういう事じゃないでしょ!!!
と毎回思ったけど、それ以上の答えは無かった。
結局はお導きがあり、使命であり、必要な力とインスピレーションが与えられて実現したという事なんだと思う。
祖父にとってはその本を訳し、多くの人が神性を思い出すお手伝いをする事が人生の目的でもあったのでしょう。
その後、祖父はもう2冊の本を訳しました。
有難いことに、その世界で真理を学ぶ人からは、祖父の訳は『神訳』だと言っていただいています。
翻訳活動をしながら、その道を学びたい方々のために、瞑想会も開催していました。
瞑想会は今でも各地で行われています。
じゃあその本の内容は?というと
私が初めて読んだ時の感想はリアルファンタジー冒険ストーリー!!!
という感動がありました。
たぶん、そういう狙いの本ではありません笑
インドで生まれ、何のために生きているのか分からず、真のグル(師匠)に出会い、神へ捧げる人生を歩む事を望み、それを実現し、そのヨガの教えをアメリカに伝えに行ったパラマハンサヨガナンダジの生涯のお話です。
ただ、彼が人生を探求する中で出会うたくさんの聖者が本当に魔法使いのようで、私は興奮したのです。
インドには本当にこんな不思議な世界があるんだ!!!と。
しかし、そこで面白いのは、魔法のような力を使う人は必ずしも精神が成熟していないという事。
能力があるが故に奢ってしまい、最後には能力を失う何てことも多々。
結局は超能力・不思議な力がすごいのではなく、全ては精神なんです。
どれだけ精神を清らかに神に捧げるかなのです。
そしてここからは私の解釈ですが、神はどこかにいる絶対的存在ではないのです。
神の分身が私たち人間であり、私たちひとりひとりの中に神性な魂が眠っているのです。
この辺りが、各宗教で認識が変わってくるところかと思います。
でも、切り取り方がそれぞれ違うだけで、どの宗教も1つの真理に繋がっていると私は思っています。
話が脱線しましたが
そんな本を20歳で読んで、アメリカにも行って、私の中で何かが開花に向けて動き出していました。
そこからは私もサラリーマンをしながら人生探求。
占い・スピリチュアルで何噂を聞けば試してみる。
そんな日々から、30代になってからは更に探求心が強くなり、色々なヒーリング等の技法を学びました。
それでも、何かしっくりこない、これじゃない、他にある感じがする。という日々。
でも、爆進し続ける。。。
という事をやった時に遂にたどり着いたんです。
真実が学べる場所に。
何かのヒーリングスクールとは全く違い、ごく自然に存在するお家。
そこに真実を教えてくれる方がいました。
それからは持ち前の爆進・学習力で駆け抜けました。
これまで自分を無視しながら爆進し続けてきたことに疲れていた本当の自分に出会いました。
そして、その子が本当にやりたい事をやってみる、チャレンジの人生に変わりました。
真に求めることを実行するという事を重ねていく繰り返し。
ひたすらその繰り返しで、自分との仲直りができたんです。
もちろんその過程でたくさんの怒り・悲しみ・寂しさも受け止めてきました。
しっかり受け止める事で、癒えてきたようです。
真に求める事。
のキーワードとして出てきたのが『インド』でした。
そこで私の探求の起点となった祖父からのバイブルをまた強く意識したんです。
生活の中に『祈り』を取り入れて、毎日の始まりと終わりをたくさんの存在への感謝でスタートし締めくくる。
瞑想をして自分の内側を見つめる時間を持つ。
そんな生活をするうち、インドへのご縁をいただいたのです。
念願のインド。
呼ばれないといけない?危険?お腹壊す?
色々不安がいっぱいで、なかなか行けなかったインド。
そこに行くと、全てが広がったのです。
インドの方々の輝く瞳。
神へ祈る行為。
大切な人を心から敬愛して暮らす人々。
自分に嘘なんてつかない正直な生き方。
カラフルな街並みと女性たちのファッション。
ただただ魂が震えました。
そりゃあこの国に魔法はあるだろう。
そう思いました。
おじいちゃんが連れてきてくれたんだ。
おじいちゃんも喜んでいるな。
と感じました。
私は大袈裟ながら、インドを魂の故郷だと感じています。
きっと祖父も同じなのだと思います。
私たちはインドで家族だった、一緒に修行をしていた、そんな過去があるんだと思うのです。
実は物心がついたころ、私は祖父が飾っている聖者の写真を見ていつも大興奮。
教えてもいないのに名前を連呼していたというのです。
私の中にはどんな記憶があるのでしょう。
ヒマラヤの山奥で修業をしていたのではないかなんて思ってしまいます。
最後にある写真は幼少期にヨギの真似をする私です笑
魂というのはその人を想う時や、その土地に行った時に強い感覚で大切なご縁を教えてくれます。
私は体感を以てそれを知りました。
だから、そんな感覚を受け取る方が少しでも増えてくれたらと、皆様の魂を震わせる事ができたらと、このお店を開きました。
例えばインドに行けないとしても、インドが気になる方。
そういう方に、インドからやってきたものを手にしていただくことで、インドに行かなくても、インドのエネルギーで魂がアクティベートされる事があるようです。
また、魂の震えた経験を持つ私の手を通して、皆様のお手元にお届けする事でも、何か良い刺激も共にお届けできればと思っております
このお店を通じて、皆様が内なる神性に少しでも近づいていただけたら、嬉しい限りです。
長い長いお話となりましたが、読んでいただきありがとうございました。
店主ゆき